愛の反対は無関心

こんにちは、淺田尚弘です。

 

国や社会が決めた法律を忠実に遵守しながら、他人に一切迷惑をかけずに生きていたとしても、幸せになれるのかどうか・・・それはわかりません。

法律を守りながら生きていても、この無限の宇宙に存在するであろう自然界のルールや法則といったことと真反対のことをしていると、いつしか大きなメッセージというその人にとってもっともきつい出来事がやってくるのだと思うのです。

 

仏教でいうところの因果応報の法則でしょうか。

法律とは、人間が人間の間で不都合を起こさないようにするために作ったものです。

その法律とやらに照らし合わせて、一昔前には、宮崎で起きた口蹄疫などで、生きる資格があるはずの牛が犠牲になってしまいました。鳥インフルエンザの鶏たちもそうでした。

法律は、人間を守るために他の生命体・種族などを犠牲にするルールでもある場合があります。

ただ、そのとき私が決断をしなければいけない側だったら・・・
どういう決断をしていたのか・・・実は自分でもわかりません。

 

他人に対する「無関心」もそうです。

別に無関心だからといって誰にも迷惑もかけていません。

ところが、宇宙の法則・仕組みから見ると、立派な罪なのだそうです。
あの、銀座まるかん社長の斉藤一人氏もそうおっしゃっていますね。

親が子に対して、「無関心」の度合いが高くなると、子供は、自分を認めてもらうための行動をしてしまいます。
無意識に良い子か悪い子になってメッセージを送るようになるわけです。

 

自己重要感を渇望しているのが人間の本能です。
だから、愛の反対は、無関心なんだそうです。

無関心の反対は、「真正面から向き合う」・・・。
スポンサーシップという概念が必要になってくるのでしょうね。

不器用でもいいから、その人なりに真正面から向き合う、それが大事だと思います。

 

特に、人間は、地球の支配者として振舞うのではなく、他の生命・存在物に対しても常に関心を持ち、スポンサーシップを発揮して調和のとれた文化を創造していくことも役割・使命の一つなのかなと思います。

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2013年4月1日 | コメントは受け付けていません。 |

カテゴリー:生き方のヒント/人生における真の成功

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